【ホモ・デウス】ユヴァル・ノア・ハラリ

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 【サピエンス全史】で有名なハラリというイスラエルの人の新作【ホモ・デウス】を読んだ。解説の言葉を借りれば、前作は人類(著者は「サピエンス」と呼ぶ)の”来し方”を顧みたのに対して、本作ではその”行く末”を見据える。歴史、宗教、科学、文学、果ては娯楽に至るまで広大なジャンルにわたる知見を引き合いに出す著者の博識はすばらしい。特に上巻で示される様々な統計数字がすごい。どきりとさせまた胸が痛くなる現実を否応なく提示される。その一例を挙げよう。世界の大型動物の合計体重は、人間3億トン、野生の大型動物1億トンに対して家畜が7億トンという分布である!これ自体が唖然とする数字だ。様々な切り口からみたこのような実例はハラリという人の天才ぶりを否応なく実感させられる。

 しかし、サンドイッチマン式に言えば、ちょっと何言っているのかわからない!いや、わからない、というより著者の示す未来像には賛同しかねる。もちろん著者は本書の最後には、自分の示唆する人類の未来像は決して確定したものでは無く、我々の対処の仕方次第でおおきく変わり得るものであり、そうあることが未来予想のひとつの目的である、とは言っている。が、ともあれ著者の示す未来像は、自分的には大きな違和感を抱くのを禁じ得ない。

 ハラリの示すサピエンスの未来。科学が発達し、今日では、宗教は死に、”人間至上主義”の時代となっている。宗教、国家、資本主義とは、集団としてのサピエンスが持つ、”共同主観現実”だ。そして今は”人間至上主義”という”共同主観現実”の時代だ。
 しかし科学技術の一層の進歩に伴い、コンピュータが人間の脳の能力を超えるシンギュラリティを迎えるだろう。サピエンスは自らの体や脳すらアップデートできるようになり、膨大なデータとそのフローは人が開発したはずの”アルゴリズム”によってしか処理できなくなってくる。いや人そのものもひとつのアルゴリズムでしか無い。 
 【ホモ・デウス】(「デウス」は「神」の意)という本の題名そのものであからさまに示されているとおり、神性をまとったサピエンスは、反面、例えば今日のGAFA(Google・Apple・Facebook・Amazon)が膨大なデータとそのフローを一気に握り、すでに本人すら気づかない嗜好や癖を分析し、リコメンドしている事でその端緒が見られるように、あらゆるデータはアルゴリズムによって処理される未来が来る。(実際、PCである言葉を検索してPCの電源を落とし、スマホでGoogleの検索画面を表示すると、さっきPCで検索したばかりの言葉が候補で出てくる。私は余りに怖いのでこの機能をOFFにした。)ハラリはこれを”データ市場主義”と呼んでいる。サピエンスはアルゴリズムに自らの統括権を譲り渡し、アルゴリズムが全てを管理する未来となる。サピエンスは自らの欲望すらアルゴリズムにコントロールしてもらだろう。

 何言ってるかよくわからない、ながらも、だいたい以上の流れかな、と理解した。が、なにか違和感がある。仮にアルゴリズムが全てを支配する時代になったとしても、中森明菜式に言えば「♪わたしはわたしよ、関係ないわ、特別じゃない、どこにもいるわ」♪オヤジB~、という感じだ。すでにそう言っている時点で、ハラリの示す”人間至上主義”という”共同主観現実”にどっぷり浸かった、未来における生きる化石なのかもしれない。
 おお恐わ!(そう思う時点でやはり時代について行けない旧人なのかな)

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