【骨を弔う】宇佐美まこと ★★★

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 さすが宇佐美まことである。周到に用意された伏線、破綻の無い登場人物達の心の動き、エピソードを丹念に積み重ねたあげくの1点への収束、十分な事前調査、そしてなにより、主人公達へのこよない愛しみ。これらは宇佐美作品のどれにも通底する特徴だ。
 本作ではたいへん(実験的と言おうか)面白い仕掛けがされている。「宇佐美まこと」本人の大ファンであるという女性が登場人物の一人として出てきて、序盤折りに触れて宇佐美作品がどれほど面白いかという劇中劇のような話題が紹介されるが、これはてっきりCMのたぐいなのかな、と思っていたらあにはからんや、終盤の”デザート”として周到に用意された伏線だったではありませんか!
 どこにでもある四国の郊外、替出町(かえでちょう)に住む5人の同級生は、他の地域と離れた同じ集落で育ったので小学校高学年までいつも行動を一緒にしていた。中でも別格のカリスマ性と知性を持つ佐藤真実子は、いつもみんなを引っ張っていくリーダー格だった。
 真実子が嫌みな担任を困らせようと、学校の骨格標本を盗み出した。真実子の提案で誰にも知られることの無い遠い山中にそれを埋めることとなり、5人はそれぞれのリュックに骨格標本を分け持ち、バスに乗って小旅行をして人の入らない山林に埋めたのだ。(これは【スタンドバイミー】を彷彿とさせる)その際、真実子は骨格標本の為に自らつくった「骨を弔う詩」を唱えたのだ。
 その後替出町の住人は、予定されたスポーツ公園への区画整理の為ことごとく転居し、5人はそれぞれ別の人生を営むこととなる。
 近くの町に越した豊は、その29年後、40才になっていたある日、旧替出町の川沿いの土手が崩れ、骨が発見されたが、詳しく検査した結果それが、単なる骨格標本であった、という小さな新聞記事を目にする。それではみんなで行ったあの遠い山中に埋めたはずの骨格標本はいったい何だったのだろう?そういえば泥がついて汚れていたような気がする。
 こうして豊の、あの当時の”みんな”を巡る行脚の旅が始まる。それぞれがちりぢりになって暮らし、それなりの労苦と悔恨、悲哀をかかえたりで、なんらかの屈託を持たない者はいない。豊自身も地元の民生委員であった父との葛藤を抱え、銀行を辞めて一人で小さな木工房を細々営むという生活だった。
 最初豊が持ってきた、そんな昔の、しかも今は無い替出町の思い出話などとうに過去の事として、良い顔をしなかった昔の友たちだが、豊につられ、徐々に、あのとき何があったのか?という事の真実を解明すべく、それぞれが見、聞いた事実を寄せ集め再構築するという共同作業をするうちに、永らくふるさとを離れた生活の中で忘れ失ってきたものをも再構築していくこととなる。
 人は社会や家庭で、いやが上にもいろいろな屈託を抱えて生きて行かざるを得ないのだが、本書はそういう大人になった人達のまさに再生の物語を、一見サスペンスの形を借りながら丁寧に、思い入れ深く語る。
 
 作中のスポーツ公園整備とはおそらく作者の出身地である愛媛県の松山市「坊ちゃんスタジアム」周辺の整備を想定していると思われる。私も松山で7年暮らし、現地で妻を得たのでこの地の悠久の大地と山川、そしておっとりとした土地の気風というものを、とても懐かしいものとして認識している。謂わば第二のふるさとである。だから意図してこの地を舞台に取り上げる宇佐美作品は見逃せないのだ。

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