そもそもデフレの何が悪い(悪いのは政治だろう)

 表題のような事を言うと経済がわからんど素人が何を言うか、と専門家のエラ~い先生達に非難されそうだが、庶民の私としては物価が下がることは喜ばしい限りで、特に消費税上げ後の物の値段は、「えっ、こんなに高かったっけ」と思うほどUPしてしまったように思う。
 某超庶民系のファミレスに間違えて休日に行ってしまった。ウィークディは日替わりランチがほどほどの値段なので、毎度飽き飽きの味やママ達でうるさ過ぎる店内というデメリットに目をつぶって、たまに行っていたが、ウィークエンドは「日替わり」が無いので普段は行かない主義だ。たまたまその日は祝日なのに何も考えず入ってしまったので「日替わり」は当然無いので、メニューは(ライス・スープを付ければ)安いものでも限りなく1000円だ。ちょっと油断するとすぐ1200円、1300円。このクラスの’超庶民系’ファミレスでこの価格。「え~、こんなになってたんだ」と改めて思い、とりあえず1000円手前の¥999円のメニューを注文。そして帰りのレジで、お会計1078円。う~む、高い!!!人手不足でアルバイトの時給も上がっているし、しょうが無いか。
 次は別のシーン。某スーパー銭湯にある髪切りどころ。消費税UP前は税込み1000円ジャストだったのが、消費税UP後は1080円???
 これって、明らかに便乗値上げじゃね?前回の消費税UP時や初めて消費税が導入された時は、マスコミは「便乗値上げ」を厳しく糾弾していたような気がするが、今回はメディアも政府も何とも言わない。むしろどさくさでどんどん上げてくれというムードである。
 逆に、先日は公正取引委員会から封書が来て、何かと見てみれば、消費税UP分の転嫁を拒否する取引先があればどんどんチクってください、という内容のアンケートだった。これはこれとして、何しろ世は物価上昇これ歓迎、円安で輸入物価がある程度上がるの内心ラッキーぐらいに思っている日銀黒田さんだ。

 という事で、本題。「デフレのどこが悪い」、という話。

■インフレ/デフレの基礎理論
 エラ~い学者さんの理論では、恐らくこういうことだろう。
 たとえば最終小売価格100円の商品があったとしよう。それが1年後に105円に売れるという事が見込まれれば、生産者はもっともっと早く急いで多くの製品を作ろうと思い、積極的に人を雇い、機械を導入し工場をフル稼働するだろう。一方買う方からみれば、今100円で買える商品が来年の今頃には105円になっているという見込みがあれば今のうちに買っておこうという気になるだろう。結果として雇用・設備投資・消費が増え、経済は順回転し、国民総生産=総所得がどんどんUPする。
 しかし逆に今まで100円で売れていた商品が1年後に95円になってしまうのであれば、生産者が製品を作る意欲を失い、消費者も買い控えをしてしまう。結果として設備投資や雇用と消費に悪影響が出て経済が縮小してしまい、最終的には国民の生活はどんどん悪くなるという。これが、この日本が過去20数年において体験してきた悪い夢なんだよ、という事らしい。 だからこそ黒田さん(もしくはアベちゃんに象徴されるマクロ経済信奉者達)はなにがなんでもインフレ目標を達成して、経済循環を’順回転’にしなければいけない、という。


■インフレ誘導政策の根底には勘違いがたくさんたくさんある
 ます、第1に景気循環論の間違いである。
 景気には在庫縮小→設備投資・雇用拡大→生産拡大→在庫過大→生産縮小→投資・雇用縮小→在庫縮小というような「循環」がある。(経済学を修めた自分では無いのでこの循環の表現は別の語彙、別の次元のもっとスマートな言い方があるかとは思うが)
 しかし、循環は必ずしもいつも自ずと起こるものでは無く、各々の現象には常にその原因がある。在庫が積みましてしまう原因としては、’作り過ぎ’もあるし、’売上げ減’もある。そして在庫を増やしてしまわない情報技術やサプライチェーンの構築が忘れられていたのかもしれない。’売上げ減’の原因には単なる’流行の終わり’かもしれないし、技術革新について行けない’製品の陳腐化’かもしれないし、’売りの手法’の慢性化かもしれない。あるいはレスポンスの極めて早い別の流通チャネルに乗った競合商品にシェアを奪われたのかも知れないし、’金融引き締め’による’消費マインド’のダウンもあるかも知れない。それらの複合要因もあるだろう。
 根底にあるのは、決して’同じ事の繰り返し’ではなく、その時その時代の技術革新なり消費構造の変化なのだ。歴史を知り、歴史から学ばなければいけないことはたいへん多くまた重要だが、歴史はパターンを持ちながらも全く同じストーリーを繰り返す訳では無い。
 そして今この日本で起こっている事は、激甚な人口減少と生産年齢の減少というダブルの構造変化だ。現在の12000万人台から今世紀の中頃には日本の人口は8000万人台となるという。韓国の人口が5000万人強なので、4000万人の人口消失は約韓国1国分のGDPの消失を意味している。世界のどの国も対面したことの無い未経験のステージに突入する(している)という事である。
 景気は’循環するもの’という前提で、金利を下げお金をばらまきインフレを誘導すれば設備投資や消費が上向くであろうとの仮定はその根底から誤っているのだ。まして量的緩和で’デフレマインド’を払拭し’インフレマインド’を醸成するなどという発想はバカじゃ無かろうか!

 そして第2に都市と農村、大と小、強と弱、富と貧をいっしょくたに扱うマクロの経済政策の誤りである。
 ○都市と地方のベクトルの違いを無視
 先の人口全体における構造変化の他に、もう一つの大きな構造変化がある。それが都市化の波である。産業の衰退に伴い都市にあった工場などは閉鎖ないし地価の安い地方に移転し、空き地には高層マンションが建ち並ぶ。都市の利便性はより高まり、地方からの人口流入が発生し、それゆえにまた利便性が加速する。そして高齢化に伴い、車無くしては生活できない地方の高齢者も都市のマンションへと移転する流れが発生している。
 空洞化する地方と人口集中する3大都市圏。その結果としての地方都市における諸物価と大都市における諸物価には、統計では計ることのできない開きが生じていると思われる。
 私の少ない見聞による推察では、地方の兼業農家世帯のエンゲル係数と大都市に住む標準世帯のそれは、格段の違いがある。地方の農家では庭にタマネギやジャガイモ、キュウリやなすが当たり前のように転がっており、親戚からは自分の所で取れない野菜や穀物が毎月毎月のようにどっさりと届けられ、もちろんその逆もある。地方ということだけで全てを同列には語れないが、少なくともある地方のある地域では貨幣経済に顕れない物々交換の仕組みが未だに崩れずに生活に根ざしている。物だけではなく労力やサービスにおいても、別に暮らす甥やおばが思わぬ助けとなる。スイカと梨、米、ミカンはそれぞれ収穫期が異なるので、主栽培の作物が異なる親戚や親しい家族間で労働力をうまくやりとりする仕組みができあがっているのだ。叔父の家で取れた大量のミカンを届けてもらった姪御は、その一部をママレードに加工し、さらにその一部を叔父に届ける。我々の故郷にはそういった経済が脈々と息づいているのだ。
 そのような人達の家計に占める食料品への支出は都会で住む人達の恐らく半額以下におさまるのではないかと思う。
 貨幣を介さない’里山経済’(この語彙は【里山資本主義】を参考にした)は、金利がどうした、量的緩和がどうしたといったマクロの政策とは無関係に何百年(いや何千年)も受け継がれて来たものであるし、日本の日本たる屋台骨の一角を担っているのではないかと感ずる。都会においても、親しくしている隣人が、田舎から届いたといって新鮮なサツマイモをお裾分けしてくれれば、次の機会には自分の田舎から届いた梨をお返しに届ける。そういった統計に顕れない確かな価値の交換経済があるのだ。
 この秘められたエレメントをもっともっと大々的に拡張するべきであろう。もっともいくら拡張しても経済指標に顕れないので、短期的には政権の手柄として評価される事は無い。しかし長期的にはあのときあの政治家がこういう画期的政策を実行したおかげで今がある、と言われるのでは無いだろうか。

 ○インフレ誘導策は、それで潤う大企業に対して圧倒的多数を占める中小零細企業にはなんのメリットも無い
 企業規模というものを考慮しないという扁平なマクロ政策では、経済における金額という面で’量’を占める大企業と、企業数という面で’数’を占める中小零細企業の盛衰を、金利と貨幣の流通量をコントロールする、という手法で一括管理しようとしている。
 売上げ1000億超の大企業にとっては、確かにインフレがある程度進行するという見込みがあった方が設備投資・雇用の面でプラスに働くだろう。2%程度のインフレでも売上げ1000億の企業は20億、1兆円の企業は200億の前年比増が見込める。その見込める金額の絶対額は壮大だ。結果として日本経済におけるインパクトは絶大だ。
 しかし日本の大多数を占める売上げ10億以下ぐらいの零細企業や個人事業にとっては、2%のインフレがいったいどういう意味を持つだろう。そしてはたまた2%のデフレがどのように事業環境を悪化させるだろう。これも私の個人的見聞による見解では、零細事業にとっては、5%程度のインフレ/デフレなど事業環境の変化の内に入らない。それより、たとえば小売業で言えばあと1店店舗を増やせたか、既存店舗の競合店環境がどのように変わったか、20%にもおよぶ急速な円安により仕入原材料価格が何割アップになったか、の方がずっと重要である。
 まして5%程度のデフレで投資意欲が減退するなどという事はあり得ない。零細事業の経営者にとっては今まさに考えている新規事業戦略がうまくいくと考えられば、来年の商品の値段を5%程度下げざるを得ないなどと言うことは、微細な問題である。
 実際に売上げ10億以下ぐらいの小・零細事業というのはそれぐらいのオーダーで戦略を考えているはずだ。もちろん志ある事業主に限ってと言う話ではある。何らの技術革新・商品改良・生産革命の工夫を凝らさず十年一日のように同じ物を同じやり方で販売しているような事業者はここでは退場を余儀なくされる。
 だから、この規模の事業は年々倍々ゲームで急成長する、というケースもあるし、安定していると思っていたら突如倒産という事もある。
 零細事業のビジネスはそれほどダイナミックに拍動しており、少なくとも、売上げや商品価格の前年比の2%程度の微差をせめぎ合っているのでは無い。そこには、少なくとも2%程度のデフレ/インフレがどうした、というようなひ弱で過保護な事業者はいないはずである。
 ただ取り残されてしまった人達、つまりビジネスの世界では最弱最小でまた競争に疲れた老齢の個人商店主達のほとんどが、先に挙げたように十年一日のように変化を拒み、イノベーションを取り入れずカイゼンを試みない惰性の店舗経営しか出来ていないのは、たいへん情けなく、このような人達の将来設計ー店をたたむかやる気があり有能な後継者を育成するかーは重要課題であり、マクロの政策では解決できない問題である。つまり、これも構造変化のひとつの帰結なので、少なくともデフレ/インフレ問題とは別の話だ。
 要は大企業ではなく、この日本の活力を担い、将来へのあらたな胎動を育む中小零細企業を元気にさせなければならない。そう考えれば、ただただデフレ脱却を目指す今の金融政策はあまりに的外れであると言わざるを得ない。
 今の政策はただ単に大企業のみに有利で有り、富の偏りをより一掃高めるばかりだ。中小零細企業に働く人達の給料を大企業のそれに限りなく近づけるのが政権の役割だろう。(いきなりの別話題だが日産のゴーン社長の強欲は許すことが出来ない。日産が減益したらゴーンは自腹を切って埋めなければならない)

■技術革新こそがデフレの主要因
 デフレの原因は’構造変化’であるが、もう一つの原因は’生産効率のアップ’である。第2次産業革命以来、近年に起こった情報通信技術の飛躍的進化は第3次産業革命と言って良いほどに、あらゆる生産・流通の現場で人の労力を劇的に削減しつつ生産性を数倍にも上げている。
 アメリカの養鶏農家では1900年台の半ば頃までは鶏が産む卵を人手でひとつひとつ取り上げて箱詰めして出荷していたが、今では1万羽の鶏舎で鶏が産む卵をたった一人で収穫し検査し箱詰めしトラックに載せ出荷しているという。そこには精妙なセンサーが多数搭載された自動機械と高度なコンピューターがあり、人が行う作業はそれらのシステムが不具合や故障を起こした場合のメンテだという。銅や石炭の鉱山では人の労働力は半減ないし激減したが生産生は50年前の数倍に昇るという。
 農業や漁業の一次産品の生産と収穫と運搬、工場における切削や組み立て作業、小売りの現場での売上・在庫・人員管理。ありとあらゆる産業の生産・流通・管理のシーンで第3次産業革命が進行し、人の労力は減り生産物は増え品質は向上している。
 需要減が無くても物価が下がるのは当たり前の話で、これで物価が上がれというのが土台無理な要請で、人類の飽くなき効率化追求の結果としてのデフレなのだ。デフレを否定することは人の努力を否定することに他ならないだろう。効率を上げて安い商品を早くたくさん作って何が悪いという話だ。ユニクロの柳井さんに聞いてみて欲しい。

■グローバル化した経済は産業投資に向かわずお金は自己循環し貧富の差はどんどん拡大する
 デフレの原因のもう一つは、グローバル化した金融経済だ。世界で現物の原油を対象とした取引の十数倍に上る原油派生金融商品(原油デリバティブ)が毎日取引されているという。世界中の現物の株式と債券の合計額の十数倍のデリバティブ(金融派生商品)がうごめいているという。世界的な金融緩和の中で有り余ったお金はあらゆる市場で数ミリ秒の早さを競い合って、取引し合う。1日あたりの外国為替取引額は平均5.3兆ドルで、モノの貿易額の50倍を超えると言われている。
 つまり金利政策も量的緩和も結局は無意味で、余ったお金は自己撞着の世界に没入し、物価を押し上げるなんの力にもならない。
 そしてその帰結として、お金は持てる者のところに集まり、世界中で貧富の差が拡大している。世界では1%に満たない富裕層に富の約4割が集中する一方で、2億人もの失業者を抱える。最も富裕な米国人400人の持てる富は、米国の下位50%の1億5000万人の富の合計より多いという。
 所得で言えば、上位1%の人達の所得は米国人の全所得合計の4分の1に昇り、税引き後の所得は上位0.1%では過去25年に5倍になったが、全体では21%増えたに過ぎない。
 同じ事が多かれ少なかれ世界で同時に起こっている。
 人が消費できる食品や消費財には限りがあるのでこれでは全体の消費が拡大するべくもない。(それでも米国では消費が堅調なのは別要因だと思う)


■消費拡大礼賛の経済学は根底から間違っている
 だいたいそもそも’消費’がアップして何が良いのか?モノを大事にするように教わって、まさにそのように育ってきた我々戦後世代に取って、どんどんモノを買って、いらないモノは捨てるなどというのは罪悪に他ならない。モノが売れるということは資源が費やされ、買って家財などが増えるからにはいらなないモノを捨てるという事になるので結果ゴミが増える、という事に他ならない。その膨大な地球的規模の’浪費’は言ってみれば、資源の食い尽くしであり環境に対する危害となる。
 洋服ダンスには1年中着ない服が保管されているが、思い切って新しい流行の服を買い入れれば行き先が無いのでやはりゴミ箱に行くことになる。一方同じ国でも児童の貧困が言われ、まして世界では寒を忍ぶコートさえ満足に着れない人達がたくさんいるというのに。
 ’消費すること’のいったいどこが美徳であろうか!テレビでは捨てる事の出来る人がいとも賢い人のようにいっているが、今捨てたこの服、あのラジオ、自転車、収納BOX・・・よく考えればまだまだ着れるし使えるものばかりだ。それが先進国、豊かな社会に住むという事の資格なのだろうか。
 ’消費を推奨する経済’というものの’正常な感覚’を逸脱したところから出発した論理のありようを真剣に考える時季にさしかかっているのでは無いだろうか?

■デフレは実質給与の引き上げと預金価値の増大を招く
 むしろデフレであれば、給与所得者の実質給与はUPし、私たちが金融機関に預けている預金の価値も増大する。問題は企業が賃下げやレイオフをするかどうかだ。前述のようにデフレの主要因のひとつは技術革新による生産効率の向上なのだから、生産性のUPによる’実り’をきちんと労働者に還元する仕組みをつくれば、雇用と賃金を維持しつつ労働時間を減らし労働環境を改善することは可能のはずだ。
 真の問題はその’実り’をどこかで誰かがかすめ取り、一部の者達のみが肥え太ることを許す資本主義の仕組み自体にある。これは既に多数の心あるそして憂える人達がいろいろな形で問題提起をしている。以前読んだ【資本主義の終焉】について書いたブログ記事を参考にしていただきたい。
 1%、いや0.1%のお金持ち達が強欲を止めればずっと住みよい世界が来るのだと思うのだが。それとも彼らは結局フランス革命やロシア革命のような悲惨を見るまで行き進んでいくのだろうか。

■インフレが来ないと政府債務はどんどん重くなる
 デフレの唯一のデメリットと言えば、1200兆円の政府債務の実質価値がどんどん重くなるということだ。極端な話が、仮に年5%ぐらいのデフレが14~5年続くと、政府債務はそのまま2400兆円に倍増したのと同じ事になる。これは怖い話だ。
 現時点ですら、生まれたばかりの赤ん坊から後期高齢者まで含めて、国民ひとりあたりで1000万円の政府債務を担っている計算になる。これはどう考えても異常事態だ。
 したがって、インフレ誘導が真に希求されるのは、過大な政府債務を抱える日本の国だからこそで、この点でのみインフレ歓迎といったところだろう。実際に計算してみると5%程度のインフレが17~8年続くと政府債務の実質価値は半減する。
 しかし、敢えて大胆な私見を述べれば、どうにせよ、日本の国債はいつか(その圧倒的分量を所有する日本国民に対して)デフォルトを宣する日がくるのだと思う。その時点で円は暴落し、金利は高騰し、そのあと日本は再び復活に向けてやり直すことになるのだと思う。怖い話だ。ただ、国債デフォルトによる混乱がどのように顕れるかは、実際になってみなければ分からないので、物価や雇用、我々の財産がどうなってしまうのかは目下の段階では分からない。いずれにしろとんでもない混乱がやってくるだろう。

■結果のみを追求する強引なインフレ誘導政策は誤り
 デフレ/インフレはひとつの結果であり、まず結果ありきでは決して無い。需要減や構造変化、生産効率の上昇、経済のグローバル化がその原因であり、その根本原因を無視して強引な手法で結果を導こうするのはたいへんな過ちであり、財政危機にある我が国がいつか破綻を免れないとしてもその激震を増幅する大失策であろう。今の日本、いや世界が抱える軋んだ資本主義の問題を根底から変えなくして、強引な金融政策を打つのはやがて来る破局をより大きくする一方だ。

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 2%程度のデフレはむしろ我々庶民にとって歓迎すべきで、その状態こそが人類が営々と進歩へと努力してきた果実である。
 今するべきは、技術革新の努力を怠らず、その結果として生ずる緩やかなインフレを甘受する一方で、技術革新の’実り’を全ての人に公平に配分する仕組みを作っていくことだ。
 デフレが問題では無く、そういう仕組み構築すべき立場にいる人達がそれをしないという事だ。上位0.1%に集まる所得や富と言うのは資本主義で肯定する、’本人の才能や努力’というものを越えて、既に’仕組み化’してしまっている。そして法律や政治がそういう人達の意を受けて制定され政られる今の社会では、そういう人達自らが自己の強欲、人類に対する危害を認識し、聖人とならなければならない。
 相続税の基礎控除を下げるのでは無く、相続税率の累進を来る平成27年からの最大税率(6億円超に対して55%)の上に10億100億1000億1兆10兆を越えるまで設定しなければならない。実際にそういう人が居るのだから。
 所得税の基本税率は下げる一方で、今決まっている平成27年からの最大税率(4000万超に対して45%)の上に1億10億100億を越えるまで設定しなければならない。
 これが一番効率の良い財政再建方策だ。
 前提として富を独占する人達が海外に富を移転できないように法制を整備する必要がある。このグローバル化した経済でこれがやっかいな課題だろう。それとも金持ちの善意に任すか。

 今の日本に、いや世界に’貴族’はいらない。’特権階級’はいらない。多少誇張して言えば、一世代一所懸命生きて財を成して、次の世代にはまたリセットして改めて子や孫ががんばれば良いではないか。それでも子や孫は良好な教育環境と親の信用や名声という資本主義の勝者の権利を享受できるはずなのだから。貧困家庭に育つ子供達と比較してみたら良い。
 ’貴族’や’特権階級’は決して彼らの不断の努力だけで成立するものではなく、人類が等しく享受できるはずの、’進化の実り’をわずかずつではあるもののおしなべてもれなく、収集することのできる仕組みに支えられている。
 そしてその仕組みは、議員内閣制の制度の基では一般庶民に変える事は絶対にできない。議員のお手盛り歳入や政務調査費のぶんどり、いつまでたっても抜本的に変わらぬ選挙区制と多すぎる議員。
 そういうことに苛立ち憤怒の念で今の国政を見ても、変える手段が無い。
 せめて、いつか特権階級と言われる人達の中から複数の聖人達が現れ、今の仕組みを人類の為に自ら変えていくだけのうねりがでてくる事を期待する無力で微妙に虐げられている庶民の私だ。

 デフレの何が悪いという話から、政治談義になってしまった。


参考文献(順不同)
 【アル・ゴア未来を語る】アル・ゴア
 【資本主義の終焉と歴史の危機】水野和夫
 【デフレの正体】藻谷浩介
 【里山資本主義】藻谷浩介・NHK広島取材班
 【円安シナリオの落とし穴】池田雄之輔 
 【世界連鎖破綻と日本経済に迫る危機】三橋貴明
 【暴走する資本主義】ロバート・B・ライシュ
 【世界恐慌か国家破産か パニック編】浅井隆
 【国家は破綻する】カーメン・M・ラインハート&ケネス・S・ロゴフ
 【2050年の世界】英エコノミスト誌

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